カテゴリ:魅惑のプーリア( 8 )

魅惑のプーリア …66

バーリでの昼食 Ⅱ (最終日にしてやっとみつけた理想のトラットリア)

外の席に座ったものの、店の兄さんは曇った空を指差して、今日はもうすぐ雨が降るよ、と言う。そう、朝の天気予報でそう言ってたから、私たちはちゃんと折りたたみ傘を持ってきていた。親子ではなさそうだったが、店のおじさんは兄さんに「ジジ」と呼ばれていた。
もうひとり、使用人らしきアフリカ系の顔立ちの青年が雑用をしていた。

c0101985_23251376.jpgハウスワインは陶器に入って運ばれてきた。
水はいつもの水。











c0101985_2326117.jpgパンもいつものもちもちパン。













c0101985_23264169.jpgそしてまたいつものムール貝。でもでも、とってもおいしかった!












c0101985_23271032.jpgそしてまたこのたこが、たこがおいしかった!












c0101985_23273350.jpgパスタはまたこのトマトにした。しかもムール貝入り!
日本ではこのトマトの甘味は味わえまい、という覚悟みたいなものが既にあったので、食べておきたかったのと、メニューが極端に少なくて、他に選択肢がなかったためもある。




この辺りで雲行きが更にあやしくなってきて、おじさんと兄さんは、私たちが座っているテーブルの他のテーブルと椅子を店内に片付け始めた。
私たちも店内に入った方がいいかときくと、まだ大丈夫、という。

店の前にぽつんと一つだけ残されたテーブルで、妙に淋しく食事を続けた。

しかし、メインの魚のオーブン焼きが運ばれてくる頃になると、大粒の雨が落ちてきた。
魚の皿を持ったおじさんが、中へ入れと私たちに合図をする。

c0101985_23281225.jpg私たちはグラスだけ自分で持って中のテーブルに移り、他のものは兄さんが運んでくれて、おじさんは魚の皿をそのテーブルに置いた。
味付けはあっさり。魚がおいしかった。










c0101985_23331562.jpg私たちが座っていた椅子とテーブルもそそくさと折りたたまれ、店の隅に立てかけられた。

急な雨にみまわれて困ったイタリア人の壮年期の夫婦が店内に駆け込んできて、
タクシーを呼んでくれ、とおじさんに頼んだ。
おじさんは、タクシーを呼んではやれないが、電話番号なら教えてあげるよ、とタクシー会社の番号を教える。
電話をかけた夫の方は、「この場所はなんと言って説明したらいいの?」とおじさんにきいた。
おじさんと兄さんは口々に、「リストランテ、イル・ペスカトーレの隣のトラットリアだと言えばわかるよ。」と教えてあげていた。
そう、ここはバーリの初日に生ものを堪能したあのリストランテのすぐ近くだったのだ。

やがて雨が激しくなってくると、店の入り口はぴったりと閉じられ、私たちは薄暗い店内に閉じ込められた。

店のいちばん奥のテーブルでは3人がまかない食を食べている。
なんか、うまそうなリゾットだ。

私はもう既に満腹になっていたが、イタリア人のまかない食に非常に興味があったので、
「それは何?」ときいてみた。
すると兄さんは、「食べるかい? じゃがいものリゾットだよ。」と、皿にすこしだけ盛ってくれた。

c0101985_23345465.jpgじゃがいもと米。そんな炭水化物同士の組み合わせがおいしいとは思えなかったけど、せっかくなので頂いてみる。
その旨かったことといったら!
味付けは塩と胡椒のみ。そして、ブロードがあっさりして旨いのだろう。
この初めてのリゾットに私はおおいに感動して、帰ったら絶対作ろうと心に決めた。

私たちがリゾットに感動していると、今度は兄さんが
「リモンチェッロを味見してみるかい?」
と言う。
カフェをおいていない店だったので、そいつを食後酒として頂くことにする。

しかし兄さん、「味見する」という動詞を使っていたにもかかわらず、でかいグラスに注がれたのは「赤ワインじゃないんだからさ」という量のリモンチェッロであった。
c0101985_23351527.jpgc0101985_23352887.jpgこれを、おいしぃ~!と喜んで飲み干してしまうのもどうかと思うが、その夜はさすがに若干の頭痛を患った。

「雨はすぐやむよ。ゆっくりしていきなさい。」というおじさんと兄さん。
今更、実は傘を持っているとは言い出せず、私たちは薄暗い店で雨がやむのを待っていた。

しばらくして、戸を開けて外の様子をみた兄さんが言った。
もう大丈夫だ!

私たちは帰ることにした。
「次またバーリに来たときは、必ずここへも来るんだよ。」おじさんは言う。
「はい。」私は、バーリにまた来るかどうかは疑問だけど、来たらこの店にはまた来るだろう、
と思って返事をした。

なんとも楽しい昼食であった。

さあ、宿に帰りつつ、私たちは最後の使命を果たすべく、目指すはエノテカ、vinarius !
コジモ・タウリーノを探すという仕事が、私たちにはまだ残っている。
                                              《つづく》
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by agrumi | 2006-12-30 23:47 | 魅惑のプーリア

魅惑のプーリア …67

b>バーリのエノテカ、vinarius Ⅱ

最初にvinariusを訪れたとき、私たちはモンテヴェトラーノに心奪われ、本来の目的であったコジモ・タウリーノ探しを放棄してしまった。

今日はちゃんと店員さんにきいてみる覚悟で店に向かう。

今回私たちのお相手をしてくれたのは、前回の堅気で寡黙な店員さんとは正反対の、英語を話せることを誇示したがりがちの軟派な笑顔の観光客慣れした兄さんだった。

コジモ・タウリーノはあるか、ときくと棚の一角を指し示された。
そこには確かにコジモ・タウリーノのワインがあった。しかし、それは私たちが欲しかったPATRIGLIONEではなく、もっと格下の別の銘柄だった。
私はPATRIGLIONEが欲しい、と伝えた。また、飲み損なっていたDONNA LISAが欲しいことも。

そうすると、お兄さんの顔がちょっと変わった。どこか秘密っぽい、どこか意地悪っぽい、そんな笑いを浮かべている。
PATRIGLIONEは特別なワインだから、ここにはないんだ。君たち、見てみたいかい?」
兄さんはそれをうっかりイタリア語で言ってから、英語で言い直すことに苦心していたが、私ははやる気持ちが抑えきれず、面倒くさいのでお兄さんの英語をさえぎって言った。
「Vogliamo vedere.」 ―見たい。

兄さんはニィッと笑って私たちについてくるように手で合図をした。

兄さんが向かったのは地下倉庫行きのエレベーターの前。
兄さんがボタンを押すと、エレベーターのドアは静かに開き、私たちを吸い込んだ。
なかなか広いエレベーターで、高級感漂う。
これが、噂の地下倉庫行きだ。わくわくするけどなんかちょっと緊張もする。

ふと、前に立った兄さんのTシャツの背中に、NASTRO AZZUROのロゴを発見。
思わず声を上げてしまったので、私はNASTRO AZZUROが好きだということを告白したのだが、なぜエノテカでビールのTシャツなのかはよくわからない。
日本の酒屋さんみたいなもので、ビールも扱っているのかしら。
兄さんはTシャツを私が着ているものと交換しようか?、と脱ぐマネをして笑っていた。
私はむしろそうしてもらった方がよかったのだが、このタンクトップを兄さんが着るのはかわいそうだと思ったので、やめておいた。

地下に着いてエレベーターを降りると、もっとひんやりしているのかと思っていたけど、倉庫の中は寒くも涼しくもない。暑くない、という程度。
「こんなもんなんだねえ。」と言いながら、私たちはワインの保管に適した温度を体感した。

倉庫といっても中は比較的広々していて、面積は上の店舗と変わらないようだ。
そんなにぎっしりワインが詰め込まれているというわけでもなく、
部分的にはちゃんとディスプレイされているような感じもする。
兄さんは迷わずひとつの棚に歩み寄って、私たちに1本のPATRIGLIONEを見せた。

「あーっ、ほんとだ!」
「これだ~、PATRIGLIONEだぁ~!」
私たちは日本語でPATRIGLIONEとの対面を喜んだ。
それを見ながら兄さんは言った。
「DONNA LISAにPATRIGLIONE、君はソムリエかい?」
そして樽にかかった巨大なソムリエバッジのオブジェを軽くたたいた。
私は大笑いした。「No,no!」
「どうしてこの店を知ったの? 友達? インターネット?」

ここで私と友人Kは同時に力強くこう答えた。
「Amico!」
しかも私はその後に、「Abita a Alberobello.」とまで付け加えてしまった。
しかし答えた瞬間に、
「違うだろぉ~! インターネットだろぉ~!」
ともうひとりの自分が心の中で叫んでいた。
が、以前NHKイタリア語会話でジロさん(ジローラモ・パンツェッタ)が、イタリアではコネがとっても大事、と言っていたのを思い出し、ここでとっさにコネありを主張しようと思ってしまったのである。(ごめんなさい。どうか寛大な心でお許しを・・・)

「Alberobello...彼はソムリエなの?」
「いいえ、彼は料理人です。」
兄さんはうなづきながらきいていた。

この地下倉庫で、初めはPATRIGLIONEしか目に入っていなかった私だったが、ソムリエバッジのオブジェに視線が移ったのをきっかけに、
別のものも視野に入ってきた。友人Kがそっと指差す。
そして、気がついてしまったのだ。近くに、1996年モンテヴェトラーノ108ユーロの値がついて置いてあることに・・・。
2003年くらいの44ユーロとは、また違った格別な味わいになっていることだろう。じゅる…。
そんなモンテヴェトラーノとは、またいつの日か再会を夢見て・・・。

そうして私たちはPATRIGLIONEDONNA LISAと兄さんとともに再びエレベーターで地上へもどった。
PATRIGLIONEは箱に、DONNA LISAはレオーネ・デ・カストリスの包装紙に包まれ、更にワイン2本用の取っ手つきの紙の箱に入れられた。

ロゼが飲めなかったことには少々心残りがあるが、こうして持ち帰った2本のワインは期待以上に活躍したわけで、ほぼ満足のいくワインの旅だったといえよう。

ああ。
もう今晩で終わってしまうバーリの夜、プーリアの旅・・・。
でも、まだ気は許せない。
タクシー会社や航空会社のストにみまわれないとも限らないから。
                                        《つづく》
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by agrumi | 2006-12-30 23:46 | 魅惑のプーリア

魅惑のプーリア …68

荷造り

帰国前日の夜。
私たちは長かったようなあっという間だったような、複雑な気持ちで荷造りをしていた。

私は、毎年要らないシャツや下着をイタリアで捨てながら旅をしていたが、
とうとう今年は使い古すペースが旅の頻度についていけず、
実際捨てるものはあまりなく、ほとんどがお持ち帰りとなったため、
お土産スペースがあまりたくさんとれなかった。

それに引き換え友人Kは、ほとんどの衣類を捨てたため、
鞄がスカスカでクッション性が低下し、ワインやオリーブオイル、タラッリなどの割れ物の収納に苦労していた。

c0101985_2355741.jpg要らなくなったガイドのコピーやプリントアウトした時刻表や地図なども捨てながら、
「来年はどうしようか?」
という話になる。迷った挙句、
「シチリアだな。」
と、やっぱり南下の旅を続け、そのしめくくりを来年にする計画が立つ。
ガイドブックの「シチリア」のところだけ、帰りの飛行機の中で読もうと分離する。
後の部分は捨てていくから。

しかし、実はそこには迷いがあった。
そろそろ、いわゆるイタリアルネサンス、バロック、古代ローマという、
中北部の芸術や遺構に飢えていることも確かだし、
最近では、南下の旅ならカラブリアが抜けているじゃないか、などとも思うようになり、
また、仕事の成り行きによっては来年は夏休みが取れないという条件も重なり、
この日の「シチリアだな。」は、いまいち決行される可能性が低い。

プーリアの心残りも多い。

まず活動時間帯としては早すぎたという反省から、
今度来る機会があれば、街は転々と移動し、午前中は移動と宿のチェックインに費やし、
昼食から夜遅くまでと、翌日の早朝(市場など)、その街に居た方が楽しめそうな気がする。

c0101985_2363529.jpgブッラータもおいしいタラッリもまた食べたいし、
アルタムラのパンも買いに行きたい。
バーリの旧市街の海の近くにこんな店があったが、
ついぞ開いているところを1度もみることがなかった。
もう店としてやっていないのか、営業時間に合わなかったのか・・・。


そんな風に考えて、今年は来年の予定が不透明な状態が続いている。



明日の朝は、一度いつものバルに行って朝食をとってから帰ることにする
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by agrumi | 2006-12-30 23:45 | 魅惑のプーリア

魅惑のプーリア …69

朝のテレジョルナーレ

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ウノ マッティ~ナ~
毎朝、出かける支度をしながらテレビのニュースを見ていたが、
1週間も居るとお気に入りの局とか、その局のニュースのテーマ曲なんかを覚えてくる。

私たちの朝はいつも、ウノ マッティ~ナ~
 で始まっていた。
しかし、これも今日が最後。

友人Kは、
「思い出した。これ、一昨年もアマルフィで見てたよ。
友人Aが、『ウノ マッティ~ナ~ 』って、歌ってたのを思い出した。」
と言っていたが、後から友人Aにきいてみたところ、その歌を彼女はさっぱり覚えていなかった。

いくらテレビニュースを見ていてもわからなかったのが、イタリアvsドイツではないもう一方の準決勝のチームと結果。
ポルトガルがちょろっと流れてフランスがしつこく流れるのだが、それが何なのか、直前までわからないでいた。
どうやらフランスとポルトガルが対戦してフランスが勝ったらしい、というのは、帰国直前になってやっとわかった。

ワールドカップももうすっかり過去の話になってしまったが、つい先日、「うるぐす」で、今のジダンの近況が報道されていた。
イタリア優勝は忘れ去られ、ジダンだけが今なお記憶に残るものらしい。

そして気になっていたのが、毎日このウノ マッティ~ナ~で流れていたミラノのタクシーのショーペロのニュース。
一応昨晩フロントに確認したら、空港までのタクシーの手配に問題はない様子だった。

さて。
最後のBarへ行って朝食としようか。
                                          《つづく》
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by agrumi | 2006-12-30 23:44 | 魅惑のプーリア

魅惑のプーリア …70

Bar Americano 2

私たちは朝食はホテルではとらない。
あの、泥水みたいなコーヒーを飲みたくないし、あの、人肌のぬるい紅茶も飲みたくないからだ。
イタリアに来て、バルでコーヒーを飲まないなんてあまりにもったいない。

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ホテルとスーパーマーケットの間に、私たちが毎日通ったバル、アメリカーノ 2 がある。
口に馴染まないプーリアのカフェの中に、救世主のようにillyの看板を見つけてここに決めた。

ものすごい鷲鼻の若いお兄さんと、ちょっと歳のいったポーカーフェイスのおじさんのバルだ。

おじさんはあんまり笑わないのだけど実は案外親切で、カフェしか頼んでいないのにオマケに小さなクロワッサンやドーナツをつけてくれることがあったり、炭酸水を注いでくれたりすることがあった。
コーヒーは挽き立てでおいしい。
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地元の人がたくさん集る顔見知りの多いバルでは、客は何も注文しなくても、店に入るとバリスタの方から「○○だね?」と声を掛け、客はそれを肯定するだけで、いつものが飲める。そんなバルはたいていおいしい。
そんな光景を眺めながら、いいなあ、と羨ましく思っていた。

私はあるとき突然、あんなに魅力的だと思ってたカプチーノを、「飲むのに邪魔だな」と思うようになってしまった。
初めてイタリアでカプチーノを飲んだときは、日本に帰ってから泡立ちミルクを作るためのシュポシュポを買ったのに。今は全く使っていない。
そしてバルでも注文するのは朝はいつもカフェラッテだ。
友人Kはカプチーノ。

それを、ここのおじさんは最後の方に覚えてくれて、
とうとう、私も注文せずに、「Caffe latte ?」ときかれる、という体験をすることができた。
それだけのことなんだけど、なんだかとっても嬉しいものなのだ。

ここのバルで私が特別に面白いと思ったのは、よくある生ビールの蛇口みたいなのの、ミネラルウォーター版があったこと。
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しかも、ガス入りとガスなしと、両方。
私が興味ありげにまじまじと見ていると、おじさんは足元の酸素ボンベみたいなタンクを引っ張りあげて見せてくれた。
それと蛇口がつながっているらしい。

しかしなんでこの店はAmericano 2なんていう名前なのか、ちょっと不思議だ。
1号店もどっかにあるのかしら。
アメリカンがおいしいのかしら。
ある朝、ここで「Due caffe americani !」
と注文したおじさんがいて、イタリアでアメリカンを見たことのなかった私たちは、ちょっと興味があったのだが、列車の時間に余裕がなくて、実物が出される前に店をでてしまったという経験がある。
アメリカンと、ホテルの泥水みたいなコーヒーとは同じものなのか。
または全く別のものなのか。
この次は一度、アメリカーノも頼んでみようかと思わされた。

c0101985_23404637.jpg帰りがけ、今日、バーリを発つ、と話したら、おじさんはまたも表情を変えずににこりともせずに、かといって冷淡でもなく、
「Oh, buon viaggio.」
と言った。
このおじさんの淡々キャラには、不思議とどこか惹かれるものがあった。
バルでの朝食が終わると、バーリでのイベントは全て終了。
私たちは一度ホテルに戻り、荷物を持ってホテルのフロントでタクシーを呼んでもらい、空港へ向かった。
                                              《つづく》
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by agrumi | 2006-12-30 23:40 | 魅惑のプーリア

魅惑のプーリア …71

バーリの空港

ワールドカップの決勝戦を明日に控え、空港へ向かうタクシーの中ではワールドカップネタのラジオがずっとかかっていた。
電話でインタビューを受けている少年が「トッティは好きじゃない」と言っていた。

1時間もかからずに、タクシーは空港に到着。
来るときはブリンディシだったので、バーリの空港には初めて来ることになる。
どんな雰囲気かと少しどきどきしていたが、そこは驚くほど清潔で近代的だった。

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チェックインが開始するまでの間、私たちはベンチに座って、交代で荷物をみながら空港探検をした。
・・・といっても、綺麗ではあってもたいして広くないので探検もすぐ終ってしまったのだが。

私たちがくつろいでいると、ひとりのお兄さんが英語で話しかけてきた。
どこへ行くのかとか、イタリアはなぜ好きなのかとか、
君の住んでいる街はどのくらいの大きさか、とか、
いわゆるよくされる質問をいくつかされながら英語とイタリア語まぜこぜでしばらくお喋りをした。

こんなとき、たいていきかれるのは人口について。
まったく知らない日本の街の規模を想像するのに、イタリア人はよく
「君の住んでいる街の人口は?」
という質問をしてくる。
これに、ちゃんと答えられたためしはない。
毎年、自分の住んでいる街や、最寄の大きな街の人口をちゃんと調べよう、
そんなことも答えられないなんて、かなり恥ずかしいよね、と思うのだが、
帰ると忘れてしまい、また翌年同じ質問の前で絶句するというのを繰り返す。

今年は「横浜の近く(現実的にそう近くはないが、地球規模での会話では近くと言っていいだろう)」に住んでいると言ったため、横浜の人口をきかれた。
「だいたいどのくらい?」
とききなおされても答えられなかった。

ただ横浜というのはイタリアでもけっこう知名度が高くて、「港のある街」として知っている人も多い。しかしここはプーリア。・・・。
ちなみにそのお兄さんはGravinaに住んでいて、私たちがGravinaを知っているということに驚いていた。
しばらく喋ると彼は「Buon viaggio !」と言って去っていった。
彼の名はまたアントニオ。 友人Kは言った。
「あんまりステキくないアントニオだったね。」

いくつもある天窓からイタリア最後の陽射しが差し込んでいる。
c0101985_21221429.jpg
ゆとりを持って早めに着たので私たちはずいぶん暇をもてあました。
なかなかチェックインカウンターが開かない。国内線だしねぇ。

広々とした本屋があったので、私たちはぱっつぱつころんころんの鞄を引きずりながら、本屋をじっくり見ることにした。
                                          《つづく》
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by agrumi | 2006-11-09 21:22 | 魅惑のプーリア

魅惑のプーリア …72[最終回]

さようなら、プーリア

c0101985_21165671.jpgc0101985_21171457.jpg空港の本屋で、私は小さな本を2冊買った。
飛行機の中で読むのと、イタリア語の勉強をするのに、よさそうなおもしろそうなのを選んでみた。
辞書を引きながら、単語を覚えながら、何ヶ月もかけて読んでいくことになるだろう。

この後、これといったトラブルもなく、私たちはチェックインを済ませ、搭乗手続きの後も空港の中の店でちょっとした買物をした。
パスタとかコーヒーとかお土産用のお菓子とか。

搭乗口付近では、ずいぶんたくさんの日本人をみかけた。
団体旅行らしき日本人集団もいる。
バーリにも、こんなにたくさん日本人がいたんだ・・・どこにいたんだろう・・・と思った。

久しぶりに聞こえてくるたくさんの日本語に、気持ちが現実に引き戻される。
とても長い間、プーリアに居たような気がするのに、それはただの夢だった錯覚に襲われる。




今年も、私のイタリアが終わる。
また、来年のイタリアへ向けて、頑張って働こう。稼がなくては旅には出られない。

バーリからミラノまでの国内線で、私たちは機内サービスのスナックのタラッリを、
満足気にぽりぽり食べながら最後のプーリアを味わった。
この後、ミラノで国際線に乗り換えて成田へ向かう。

さようなら、プーリア、さようなら、イタリア、いつも幸せをありがとう!
また、会う日まで・・・!
                                           《おわり》
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by agrumi | 2006-11-09 21:19 | 魅惑のプーリア

魅惑のプーリア …1

序章

それは2004年。 私は念願のアマルフィ旅行のためにネットと本屋をあさって南イタリアについての資料を集めていた。そのとき探し当てた本の中の1冊、「南イタリアに行こう」(田島麻美/双葉社)を読みながら、ちょっと別のところに心動かされていた。

「へぇ~。プーリアってのも楽しそうでおいしそうなところだなぁ…。こいつはいつか行かないと。」

いちばん魅かれた一節は、「1km移動すれば郷土料理が違う」というところ。地方色豊かな、土地土地での特色が楽しめる地域なのだと理解した。

アマルフィから帰ってきてネットを検索すると、プーリアを愛する人が運営するサイトがいくつかあった。なるほど。既に魅了されている日本人が明らかに複数存在している。

実は1998年、プーリア地方にはちょびっと足を伸ばしたことがある。ターラントという港町に宿泊し、アルベロベッロを日帰りで訪ねた。ローマやフィレンツェがある国と同じ国の街だとは、到底思えない危険な雰囲気に圧倒されたのを覚えている。アルベロベッロは観光地なので大きな日本語の看板も多数見受けられたが、ターラントでは、貧しく荒んだ風が吹いていた。

しかし、今行くと、見えるものも感じるものも違うと思う。当時と違って今は、外から眺めるだけでなく、中を覗いてみたいという欲求がある。

さあ。

そのプーリアの旅は明日から始まる。
果たして、何が待っているのか?
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by agrumi | 2006-06-29 22:52 | 魅惑のプーリア