サレルノからまたぐねぐねとバスでアトラニに帰ってきた私たちには、その日のうちにしなければならないことがあった。
たった4泊のアトラニでの「暮らし」も今晩が最後。 明日の朝8時半、ポジターノへと発つ。そのことを、電話でオーナーのダニエラに伝えなくてはならない。初日、ふかふかの犬を連れて私たちをアパートメントまで案内してくれたダニエラ。 私は無駄だと思いながらも一応友人AとKに向かってきいてみた。 「誰が電話する?観光客相手の仕事だからきっと英語でも通じるよ。」 もちろんふたりとも返事をしない。 日本では当然のことがイタリアではちっとも当然ではない。 だから公衆電話が働かないことも驚くに値しない。 「その電話は壊れてるよ。」 と、親切な地元の人が教えてくれた。 もう片方の電話が空くのを待って再トライ。暗黙の了解で私が電話をする雰囲気になっている。 イタリア語で電話をしたことは一度もない。表情も口の動きも見えなくて、身振り手振りも図も絵も文字も使えなくて、相手に用件を伝えることなどできるのだろうか。と、この期に及んで言うのもおかしいが、私はけっこう不安だった。 知らされている電話番号をプッシュしてしばらく待つと、呼び出し音が聞こえた。何回か鳴ると、それがプツッと切れてシーンとなった。何回かかけなおしてみたが同じだった。 「えー、つながらないよ…。」 と私は困って言ったが、自分たちはどうせ何もしなくていいと思っている友人AとKは私の不安など気づきもせずシラッとした顔をしている。 誰も助けてくれないので私は 「ちょっとかけてみてよ。」 と言って友人Kに電話番号を渡した。番号を押してまたしばらく待つ。すると友人Kが 「あっ、何か喋ってるよ!!」 と言って私に受話器を手渡した。しかし私が受け取って耳に当てたときにはまたシーンとなっていた。もう一度ダイアルしてみる。呼び出し音が止まってから、今度は辛抱強くそのまま待ってみる。1秒がかなり長く感じる。それが実際何秒だったのかはわからない。突然ペラペラと早口の女性のオペレーターのような録音されたイタリア語が流れ始めたかと思うとあっというまに終った。そしてまたシーン。私は電話を切ってため息をついた。 「確かに何か言ってた。でも、何言ってるのかぜっんぜんわからない。」 ことが上手く運ばないと知り、友人AとKもやっと協力態勢になってきた。 「番号が間違ってるの?」 「留守番電話なんじゃないの?」 「そのまま喋ればメッセージが入るのかもよ。」 初の電話が留守番電話とは。相手の反応さえも確かめられない状態で用件を伝えろというのか。用件といっても私たちが明日の朝8時半に出発するということを告げればいいだけなのだが、純粋に「言葉」だけで何かを伝えることに自信がもてない。 だいたい「私たち」のことをどう言えばいいのだ? オーナーは私たちの名前を知っているだろうか? 入居の時には何の書類も書いていないしパスポートさえ提示していないのだ。それでも私は、私たちが何者であるかを最も端的に伝える言葉を狭い語彙の中から選りすぐり、一切の無駄を省いたフレーズを考え出した。もう一度ダイヤルする。呼び出し音が鳴り止み、しばらくしてペラペラのイタリア語が終わり、またしばらくすると「ピーッ」という音がきこえた。これがメッセージ録音開始の合図であることは疑いあるまい。それにしてもこの音に辿り着くまでの「間」が日本の電話とはえらく異なる。なんて長いんだろう。私は、公衆電話の受話器に向かってかなり緊張して大きな声で頑張って喋った。 「Siamo tre Giapponese del appartamento ad Atrani. Partiamo domani mattina alle otto e mezzo.」 ――私たちはアトラニのアパートメントの3人の日本人。明日の朝8時半に出発する。 ガッチャン。私は受話器を置いた。ホッとしてため息が漏れる。 アパートメントに電話はない。ダニエラが私たちにどうやって連絡をとるのかは知らない。が、宿泊費は払ってあるんだし、このまま何もなかったら、翌朝は鍵をテーブルの上に置いてそのままおいとましよう、ということになった。 夜、私たちはアトラニでの最後の晩餐を準備しつつ、また交代でシャワーに入っていた。ちょうど私がシャワーに入っているとき、キッチンの方がなにやら騒がしく話し声がきこえてきた。何を喋っているのかはわからないが、誰かが尋ねてきたらしいことは明らか。留守電の伝言が通じたのか? 私がシャワーから出ると、ふたりはややエキサイティングな様子で来客の様子を語ってくれた。来たのはダニエラではなく、別のおばさんだったそうだ。私よりもイタリア語歴は短いながらも、友人Kが頑張って対応していた。 「広場のバルに鍵を預けて行けって言ってたよ。電話ちゃんと通じてたよ。おばさんが『…alle otto.(8時に)』って言うから、まあ8時も8時半も一緒かと思って『si,si.(はい)』って答えたら、『No,…e mezzo.(じゃなくて、8時半、でしょ?)』って言われたよ。」 よし!これで私はそのくらいの内容は電話もイケるってことがわかった。途端に不安が喜びに変わる。 翌朝、私たちはアトラニのバルで朝食をとってからまたアパートメントに戻り、荷物をまとめてバスに乗るために徒歩でアマルフィのバス乗り場に向かった。その前に再びバルに寄ってアパートメントの鍵を返す。アパートメントとバルにどういう関係があるのか知らないが、不思議かつ便利なシステムだ。鍵は友人Kが返しに行った。私と友人Aは外で待っていた。出てきた友人Kは不思議そうに言った。 「支払いは?ってきかれたから、もう済んだって言ったら、そう、じゃあさようなら、だって。いいのかね、それで?」 …いいのだ。それで。 陽はもう高く昇っている。私たちはこれから、「地球の歩き方 イタリア」でわずか1/5ページを占めるだけのポジターノへ、向かおうとしている。 《つづく》
by agrumi
| 2006-10-29 17:48
| たとえば私のアマルフィ
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